2024/02/08
ある編集者のつぶやき #5 紫式部の住んだ福井県は、地の果てだった?
(#4からの続き)
私はある時期、福井県に並々ならぬ関心を抱くことがあって、様々な資料を集めていた。
その一つが司馬遼太郎『街道をゆく』だったのだが、司馬さんも福井(令制国では若狭国と越前国の2つ)がお好きだったと見え、他にも『第1巻 湖西のみち』では若狭国から近江国を抜けて京に通じる「鯖街道」の一つである「朽木街道」を取り上げ、『第18巻 越前の諸道』では旧越前国中を3泊4日かけて旅している。
さて、#4で紹介した『街道をゆく 第4巻』の「北国街道とその脇街道」では、司馬さんは武生に立ち寄った際、ここに2年間住んだ式部の心細さに思いを馳せている。
国府があったとはいえ、当時の武生は京都人にとっては地の果てのような場所だっただろう。しかも、今もそうであるように非常に雪深い地域であり、冬の寒さはとてつもなく厳しかったに違いない。
司馬さんは、式部は往路は敦賀街道を北上して武生に入ったと断定して書いている。
その論拠を今回調べてみたが、わからずじまいだった。この敦賀街道は現在国道8号線の一部となっており、航空地図で見るとわかるが、道路が整備された現在でさえ、海にすぐ断崖が迫っているような厳しい地形が延々と続く。これを踏破するのは、並大抵の苦労ではなかったはずだ。
@OpenStreetMap
近江国ないし若狭国から越前国に入るにはもう一つ、山側の木ノ芽峠を越える北国街道ルートがあるが、これは勾配もきつく、ヘアピンカーブだらけのたいへん険しい山道で、現在でも冬季になると道路凍結のため通行止めとなるほどだ。
式部の生きた時代にはすでに栃ノ木峠を越えるルート(現在の国道365号)に切り替わっていたかもしれないが、いずれにしても難所であることに変わりはない。それほど、武生というのは昔は京から見れば遠い町だったということだ。(#6に続く)
プロフィール
ある編集者
大学卒業後、大手出版社に勤務。
子供の頃から漫画が大好きだったが、いざ大人になると小説の編集にかかわり、多くの作品を世に送り出すことに。
ここでは思ったことを率直につぶやいてみたい。
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