コラム

2024/04/28

ある編集者のつぶやき #17 ジョン・ストックトンの感動エピソードから影響を受ける

#16から続く)
ジョン・ストックトンのプレーを猛烈に観たくて仕方がなかった。しかし別項(#8)で書いたように、私は「テレビ=悪」という教育方針の家庭で育ったため、当然BSアンテナなど設置してもらえるはずもなく、なかなかNBAを観ることができなかった。
 
1992年バルセロナ五輪大会からバスケットボールは初めてプロのフル参加が認められることになり、「ドリームチーム」と呼ばれるチームが結成された。
 
当時、この「ドリームチーム」を特集したVHSが雑誌「Sports Graphic Number」(文藝春秋)の通販部門から販売されており、それを入手して、ストックトンの箇所ばかり擦り切れるほど観た。その全シーンと全ナレーションをいま、頭の中で再現できるほどだ。
 
(参考プレー動画)

『月刊バスケットボール』(日本文化出版)と『DUNK SHOOT』(日本スポーツ企画出版社)の2つの雑誌は、文字と写真でNBA情報を得られる貴重な情報源だった。両誌を書店で立ち読みするというのが毎月の習慣になった頃、おそらく『DUNK SHOOT』の方だったと思うのだが、ジョン・ストックトンの小特集が組まれた。小遣いをはたいてその号を購入し、貪るように読んだ。



2つのエピソードを今でも強烈に覚えている。
 
1つはストックトンが高校時代か大学時代に、誰よりも早く朝練に来て野球のボールを投げて壁の狙ったところに当てるという練習を繰り返していたという話だ。これが後に地味ながらも「針の穴を通すような正確無比なパス」と言われる彼の武器につながっていく。
私ももちろん自主練に早速取り入れて、近所の公民館のレンガ造りの階段に向けて繰り返し野球のボールを投げた。
 
もう1つはストックトンの誕生日にホームパーティーが開かれ、チームメートがサプライズでストリッパーを呼んで芸を披露させたところ、ストックトンが激怒してストリッパーを自宅プールに突き落とした、という話だ。
 
ストリッパーにはたいへん気の毒だが、地味で寡黙で真面目ながら内側に激しい情熱を秘めた彼らしいエピソードだと私は感動し、ますますファンになった(この2つのエピソードは検索してもネットに一切出てこない。そのうち国会図書館で再度調べ直したいと思っている)。
(#18に続く)
 

プロフィール

ある編集者

大学卒業後、大手出版社に勤務。
子供の頃から漫画が大好きだったが、いざ大人になると小説の編集にかかわり、多くの作品を世に送り出すことに。
ここでは思ったことを率直につぶやいてみたい。

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