コラム

2024/04/21

ある編集者のつぶやき #16 ジョン・ストックトンとユタ・ジャズの思い出

1990年代初頭、日本ではいくつかのスポーツブームがあった。
代表的なものは、アイルトン・セナが牽引したF1ブーム、そしてマイケル・ジョーダンが牽引したNBA(アメリカのプロバスケットボールリーグ)ブームの2つだ。
 
私が小学校6年生時の1990年に『スラムダンク』の連載が始まり、前後してNHKがBSで(おそらくBS放送開始時の89年から?)NBAの放映を始めた。
 
私の通った公立中学校には珍しくサッカー部がなく、最もミーハーなタイプの中学生はバスケ部に入る選択肢しかなかった。私ももちろんミーハーな一人だったから入部した。
結果ミーハーばかりが大量に集まり、一学年に30人を超える部員のいる超大所帯、学内最大の部活となった(スタメンが5人のスポーツなのに!)。



部活に入って最初に悟ったことの一つは、バスケは生まれ持った運動能力と身長がものをいうスポーツだということだった。
大した運動能力もなく、中学一年生男子の平均身長そのものの自分には別の武器が必要だと感じた。
 
バスケットボールの教則本を買うと、『スラムダンク』によってよく知られるようになったPG(ポイント・ガード)、SG(シューティング・ガード)、SF(スモール・フォワード)、PF(パワー・フォワード)、C(センター)の各ポジションの役割が紹介されていた。そのPGの頁にモノクロ写真で紹介されていたのが、ジョン・ストックトンだった。
 
ジョン・ストックトンはユタ州ソルトレークシティーを本拠地にするユタ・ジャズのエースPGだった。身長は185㎝しかないのに(これは平均身長が2mを超えるNBAでは相当低い)、確かその時点で「3年連続アシスト王」だというキャプションがついていた。
 
そうか、バスケには得点に直接つながるパス=アシストという武器があるのか、と気付かされた。
この技術を磨けば、運動能力や身長は関係ないところで勝負できるではないか、と。
#17に続く)

プロフィール

ある編集者

大学卒業後、大手出版社に勤務。
子供の頃から漫画が大好きだったが、いざ大人になると小説の編集にかかわり、多くの作品を世に送り出すことに。
ここでは思ったことを率直につぶやいてみたい。

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